読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

多田の日記

普通の人のただの日記

悲しみの童貞はセックスの海に溺れるか?(清原初公判によせて)

f:id:y_data:20170116080752p:plain

 

 17日に元プロ野球選手 清原の初公判がありましたね。清原のことは現役時代から嫌いだったので、清原逮捕のニュースも「落ちるところまで落ちたな…」ぐらいの感想だったのですが、一野球ファン・巨人ファンとして、現役時代から覚せい剤に手をだしていたのかは少し気になるところでした。

 

 元巨人の野村貴仁氏(パワプロでカーブしか変化球の投げられないゴミピッチャー)は巨人時代から覚せい剤を使用していたと証言しています。清原はどうでもいいとしても、仮に清原が巨人時代から覚せい剤を使用していて、それが周知の事実だったとしたら結構ショックです。当時のチームメートである松井や高橋、そして巨人というチームまで汚されてしまったような気持ちです。まあ、巨人はすでに汚れきっていますが。

 

 ただ、清原は初公判のなかで、覚せい剤に手を出したのは「現役引退後」からだと語っていましたね。以下初公判での清原の発言抜粋です。

「やはり自分は9歳のときにはじめ、引退するまで野球を続けていました。その中でのストレスや不安は野球で全て解消していました。しかし、引退すると社会の中での日頃のストレスやプレッシャーに対する解決方法がなくなり、ひざの故障で足が思うように動かず、そのころから、そういう理由で薬物を使ってしまったのだと思います」

www.sankei.com

 

 清原と野村どちらの言っていることが正しいのでしょうか。清原と野村……どちらも同じぐらい信用できないですね。安倍首相と岡田代表、朝日新聞産経新聞……こういう同じくらいの信用度の人や組織が相反する意見を言っているときは、chikirinよろしく、自分の頭で考える必要があります。まあ、アベノミクス憲法改正のことはどうでもいいので、特に考えたことはないですけどね。

 

 正直なところ、清原は現役時代から覚せい剤を使用していたのではないかと思っています。人が本当に精神的に参っているときに、新しいものに手を出すだろうか(いや出さない!)と僕は思うのです。そういうときに手を出し溺れてしまう代表的なものとして、「酒」、「タバコ」、「女」がありますが、どれも「初めて」手を出すのは落ち込んでいるときではなく、どちらかというとイケイケのときではないでしょうか。

 

 僕は清原と同じようにへろへろメンタルなので、辛いときに自己破壊的な快楽に走ってしまう気持ちはよくわかります。僕も社会人になって数年後、死にたいほどの絶望に襲われたときは、大学卒業と同時にやめていたタバコを吸いだし、意識がなくなるまでお酒を飲んだものです。

 

 でも、酒やタバコが未経験だった中学生や高校生の頃は、どんなに悲しみに襲われ自暴自棄になっても、酒やタバコに手を出すことはありませんでした。別にその気になれば手に入れることはできたでしょうが、そもそも選択肢に存在しなかったのです。当時は大音量でビートルズを流したりゲームにのめり込んだりしてストレスを発散し、悲しみを紛らわしたものです。

 

 人はへろへろ状態のとき、慣れ親しんだ刺激を過度に求めてしまうものです。清原が引退後のストレスやプレッシャーから覚せい剤にのめりこんでいったこと、子との離別が覚せい剤を断ち切れない決定的要因となったことは事実でしょう。でも、悲しみを紛らわす手段として、「薬」という選択肢があった時点で、それまでに、「薬」を使用したことがあったのはないでしょうか。そうイケイケだった、現役時代に…。

 

 以上はただの想像なので、本当に覚せい剤の使用が引退後からだったらごめんなさいね。

 

以上